こんにちは、kanaeです
長崎県佐世保市生まれ
幼少期は千葉県八千代市
その後、横浜市で育ちました。
中学2年生の時より、ひどい便秘生活を送ることになりました。
まずは、病気に対する食事療法を勉強して
便秘を治したい一心で 食物学専攻の相模女子大学に入学。
栄養士を取得。
食を通して人の健康に携わることを夢見るようになりました。
食堂運営や給食を提供する会社に勤務。
食堂の管理を任され、管理栄養士を取得し、
高齢者施設や総合福祉センターや大学などの
食堂の栄養士業務を行なっていました。
その後、高齢者デイサービスへ転職。介護福祉士を取得。
北海道へ家族で移住し、高齢者の介護予防の仕事に携わり、
健康体操、口腔ケア、調理指導の業務を行う。
人の心の豊かさ
笑顔を増やすことの大切さを知る
卒業後、高齢者施設や大学などの食堂運営や給食提供をする会社に勤めました。
栄養士として 献立を作ったり 調理をしたりする業務をしていました。
その後、管理栄養士を取得し 食堂運営の責任者をしたり、営業職をしたりしていました。
営業の仕事は成績の数字を求められて 自分としては好きな仕事ではありませんでした。
ところが、ある時、転機がやってきました。
配属先が福祉施設の食堂の調理部門となったのです。
そこでは、高齢者デイサービスも行っていました。
デイサービスの部屋を覗くたびに見た光景が私を変えました。
スタッフが利用者さんの表情を間近に見ながら 肩に手を添え声をかけているのです。
すると、イキイキとした笑顔を見せてくれるたくさんの利用者さんの姿をそこに見ることができました。また、一人ひとりの利用者さんの為に、スタッフがミーティングを繰り返し繰り返し行っていることにも感服しました。こうした職場に憧れ、社会福祉協議会の高齢者デイサービスセンターへ転職し勤務しました。
ここでは、日々 利用者さんの笑顔を引き出す事に喜びを感じました。
また、介護に関する技術のみならず、
高齢者の便秘問題にも直面し格闘することになったのでした。
北海道釧路へ家族で移住
北海道に住んでいた義父の介護が目的で、北海道釧路へ家族で移住しました。
阿寒湖村役場で、介護予防の仕事を依頼され、栄養と健康体操と口腔ケアの担当をしました。
飯寿司(いずし)をご存知でしょうか?
魚と野菜を米麹に漬け、乳酸菌発酵させた寿司です。
北海道では 飯寿司をはじめ、沢山の漬物文化に触れることができました。
そして、温泉や自然の中で過ごす事で、身体が元気になるのを実感しました。
食べ物とは話は変わりますが、釧路ではフラダンスの教室をやったりもしました。
(25歳からの趣味で ディズニーランドの舞台にも立ったことがあります^ ^)
京都での発酵生活
また、京都でお寺や山を歩くツアーに参加したことがきっかけとなり、
大好きな大原三千院近くの料亭旅館で仲居を経験しました。
大原の京野菜を毎朝食べ、自家製の乳酸菌豆乳ヨーグルトや酵素ドリンクを作りました。
腸内環境とアレルギー体質の改善を実感し、
体調が良くなっていきました。
横浜へ戻り 発酵の修行へ
横浜へ帰り、タカコナカムラ先生のホールフードの考え方を学び、ウエダ家の野生酵母、水島ヒロシシェフの料理教室、『うちの米うまいよ』で糠漬けづくりを本格的に修行。
自然豊かな静岡へ移住。
現在の住まいは溶岩の上に立つ建物です。
そのおかげかは分かりませんが、発酵食品の発酵がすすみやすいと感じられました。
もしかしたら、富士山の伏流水を水源とする町の水の恩恵かもしれません。
無農薬無化学肥料の米糠、塩、水、麹。
どの素材がより美味しい糠漬けになるか
日々検証をおこない、よりナチュラルなものでシンプルに生活しながら
健康で多くの笑顔が増えることを考えるようになりました。
そして…ぴょんちゃんroomオープン
2020年 樹ファミリーケア開設
前川産婦人科クリニック委託にて
ぴょんちゃんroomオープン。
便秘は万病のもと!!
中学2年生以降、私は便秘になってからというもの 体の不調がいっぱい出てきました。
中学生の時は、便の詰まりがひどくなるほど、生理痛が辛く お腹は張り 時には歩けないどころか、立っていられないほどでした。
高校生の時は冬は手足やお尻もお腹も、触ると氷のように冷たくなっていて、いくらカイロをあてても温まりませんでした。
そうなると、益々便秘がひどくなりました。
夏に比べて冬の体重は10キロ増え ウエストは20センチ以上アップするのを 毎年繰り返すようになっていました。
内科の液体のクスリがあまり効かない時に、
胃腸科内科でレントゲンを撮りました。
腸内はガスと便でぱんぱんになっていることがわかりました。その胃腸科内科で 新たに錠剤の薬が処方されました。今の状態がわかったのだから 薬に期待しました。
しかし、便秘薬はやはり効かず…
漢方薬局へは何件もまわってみました。汗が沢山でるようになった薬もありました。
肝心の便はあまり出ないのに 汗ばかり出て、化粧は崩れるは、脇汗はスゴイはで、体質改善と言われたけど、断念…
病院のクスリも市販のクスリも一回飲んで ごく少量のお通じが出ると私は大喜び。
でも、スッキリ感がないので同じ薬を翌日飲むと、やはり少量のお通じが出るのみ。
しかし三日目になると、内服してもお通じはなし。
このような現象が、クスリを替えても替えても繰り返されていました。
仕方がないので、クスリAを2回使ったら
別のクスリBを2回使い、その後、クスリCを2回使うという ローテーション方式で急場をしのぐこともありました。
20代になると、便秘以外の病気が出てきました。
春は花粉アレルギーで、くしゃみ、鼻閉感、鼻水に苦しみ、
夏は金属製のネックレスをすると、首が痒くなり、真っ赤になりました。
大学の卒業論文で徹夜をしたり、体に無理がかかるスケジュールをこなしたりすると、サバアレルギー(全身に発疹)が出現しました。
秋に疲労が蓄積すると、今度は起床時に顔面全体が腫れ上がることもありました。
上瞼も下瞼も腫れてしまって目が見えなくなったり、唇の腫れで鼻の穴が塞がって息が出来なくなったりしました。
しばらくすると、気道が狭くなって、息を吸おうにも吸えなくなりました。
家族中で大騒ぎになって、救急病院に担ぎこまれたことも何回かありました。
今思うと、アナフィラキーショックでした。
病院では、抗アレルギー剤やステロイド薬が出ましたが 使うと眠くなるので
お守りとして、常備していました。
就職後は…仕事のつき合いでお酒を飲む機会が増えました。しかし、飲むたびに顔は腫れ、唇はむくんで、しまいには硬くなり、身体中に湿疹が出てきてしまいました。
家に帰って抗アレルギー剤を飲んでは、だるい翌朝を迎えていました。
20代後半も変わらず便秘の日々でした。
今度は月経前症候群になりました。
月経が近づくにしたがって便秘はひどくなるし、それに伴って頭痛や吐き気もひどくなりました。
そういう時は家に帰れば、布団にくるまって苦しみに耐えていました。
のぼせやすく、鼻血が夕方になると出ていました。
妊娠すると、便秘は益々ひどくなりました。
赤ちゃんの成長と共に 便も出づらくなりました。
妊娠後期になり、私は産婦人科で妊娠中毒症(軽症)と気管支喘息合併と診断され
入院となりました。
入院中は 仰向けに寝ると咳が止まらなくなるため、座位で寝る日々を過ごしました。こんな状態でしたが、退院して、さらには経膣分娩ができました。
30代中頃、北海道へ移住。
のぼせ、手足の冷え、肩こり、腰痛…
特に、私の場合 夕方になると、毎日鼻血が出ることが1ヶ月続きました。
しかし、横浜では食べていなかった、新鮮な
野菜や魚介類、漬物などの発酵食品を、北海道では普段から食べるようになりました。
数年すると、いつのまにか便秘が解消されていきました。
そして、その後、徐々に、アレルギーのさまざまな症状は消えていくことになったのです。
治らないと思っていた気管支喘息も発作が
起きることはなくなり、サバを食べても湿疹は出なくなりました。
そうそう、花粉症もなくなりました。
それで、便秘や身体の不調の根本は 食事を見直す事で健康を取り戻せるんだと腑に落ちたのでした。
もし、便秘で困っている人がいるならば、一緒に便秘解消を喜びあいたい!
家庭から健康に 家族みんな元気に!
そんな気持ちが『まんまごと』の礎(いしずえ)になっています。
Before
After
資格
- 管理栄養士
- フラインストラクター
- 介護福祉士
- ロミロミセラピスト
経歴
- 管理栄養士(高齢者施設の栄養士業務、喫茶部門のメニュー開発)
- 介護福祉士(高齢者デイサービス 府中と釧路で合わせて12年、介護予防料理教室2年)
- ホールフード
- 野生酵母
- 無農薬無化学肥料米糠の糠漬け作り
- 味噌 醤油 醤作り 梅干し
- 京都大原 料亭旅館で仲居
- 飲食店でのサービス業
- FM釧路ラジオ市民パーソナリティ2年
- フラダンス教室 1年半(釧路教室、帯広教室)
- 保育所仲間の親子を集めて(パン、味噌作り方のシェア会)